1/24 グンゼ改造 シェルビーコブラデイトナクーペ 製作開始
今回ご紹介するのは「デイトナコブラ」というクルマである。正式名称は(シェルビー デイトナ クーペ)と呼ぶようであるが、ロードスターの「コブラ」をベースにクラスのスポーツカーに仕立て上げたもの。年のマニュファクチャラーズのチャンピオンを獲得したマシンでもある。
まあ、スポーツカーと言ってもほぼレーシングカーという方が正しい。当時同じカテゴリーでレースをしていたのがフェラーリ「250GTO」。これを打ち破ってのチャンピオンなのだから価値がある。もともとロードスターのACコブラ(ハードトップ付き)でル・マンにエントリーしたシェルビーは、長い直線のトップスピードがフェラーリより劣ると判断し、当時シェルビーに在籍していたピート・ブロックに空力性能に優れたクーペボディのデザインを指示。結果出来上がったのがこのクルマだ。
シェルビー・アメリカンではハードトップを装着するなどの対応を採ってはいたが充分ではなく、スポーツカー世界選手権への参戦を前提として、1964年に同社はピート・ブロックがデザインを手掛けたコブラのクーペバージョンを開発する。シェルビー・デイトナ ・クーペの誕生であった。
グンゼのデイトナコブラを久しぶりに手に入れました。高校生くらいの頃、新製品で買って作ったキットです。ヤフオクで購入しました。
軽量・コンパクトなボディにパワフルなV8エンジンの組み合わせによるパフォーマンスは圧倒的で、シェルビー・コブラはアメリカ国内で活躍した。だが、ヨーロッパでのレースに参戦するにあたり、パフォーマンス的にはライバルのフェラーリやアストン・マーティンに勝るとも劣らないものの、オープンボディのため空力では大きなハンデを抱えていた。とくにル・マン24時間レースでは全長6km (当時)にも及ぶミュルサンヌ・ストレートでライバルとの差が開いた。
ラインオフしたシェルビー・デイトナ・クーペはプロトタイプを含めて全部で6台。シャシー番号はCSX2286、CSX2287、CSX2299、CSX2300、CSX2601、CSX2602となる。そのすべてが現存し、コレクターや各地の博物館の手で大切に保管されている。
こうした経緯から誕生したしたのが、英国製ACエースのロードスターボディにフォード製XHP-260(4.3L)V8エンジンを搭載したシェルビー・コブラであった。
その後、モータースポーツへの参加を前提にさらなるパフォーマンスを追求した同車は、1962年にエンジンをチャレンジャー289(4.7L)スペシャルV8に換装してFIAのGTホモロゲーションを取得し、1964年にはサンダーバード用に開発したエンジンを軽量・高性能化した427(7L)V8エンジンを搭載した。
だが、今回アメフェスに展示された車両はいずれのシャシー番号でもない。展示車両の細部をよく検分すると、後年スーパーパフォーマンス社が製造したレプリカではないようだが、1960年代にレースで活躍した車両とは細部の意匠が異なる。WWRJのスタッフに尋ねると「本物」との答えが返ってきた。これは一体どう言うことだろうか?
シェルビーコブラ・デイトナクーペCSX9000. シェルビーコブラ.
2023年10月22日(日)、ダイバーシティ前にあるお台場ウルトラパークにて『Super American Festival at お台場』が開催された。今回で記念すべき30回目を迎えたこのイベントに、1970年代後半のF1シーンで活躍した伝説のエンブレムを掲げた一団が参加していた。カナダの石油王が唯一公認した『ウォルター ウルフ レーシング ジャパン』の展示スペースには、デイトナ ・コブラ 、デ・トマソ・パンテーラ Gr.4、フォード・モデルA・ロードスターなどの綺羅星のような名車が並ぶ。今回はその中から幻のアメリカ製スーパーカー・ベクターW8を紹介する。REPORT&PHOTO:山崎 龍(YAMAZAKI Ryu)
シェルビー・コブラ“デイトナ”クーペ, HW:ザ・ナインティーズ 96ポルシェ・カレラ, HW:ザ・ナインティーズ 90アキュラNSX
Rinsey Mills は、1960 年代に美術学校に通っていたときに初めて AC を購入しました。 それは行き来しましたが、決して忘れられず、数年後、荒廃した後、彼はそれを再び手に入れました。 その後、テムズ ディットンの AC 工場を訪れたときの偶然の会話から、彼はこの使い古された、くすんだスポーツカーが 1935 年のモンテカルロ ラリーでほぼ優勝したことを知りました。 有名なマークの専門家になります。 この情熱により、彼は後年キャロル・シェルビーと知り合い、公式の伝記作家になりました。 彼の主な著作であるキャロル シェルビー: 認定された伝記 (ヘインズ、2012 年) は、シェルビーの死のわずか数週間前に出版されました。 Rinsey は、Original AC Ace & Cobra (Bay View、1990 年)、Essential AC Cobra (Bay View、1997 年)、Great Cars: AC Cobra (Haynes、2003 年)、AC Sports Cars in Detail など、AC 関連の書籍を執筆しています。 : 6 気筒モデル 1933 ~ 63 年 (Herridge & Sons、2007 年)。
ブログ:シェルビー コブラ デイトナ クーペ用スターターモーター
じつは2022年夏にこのクルマはアメリカのオートオークションに出品されており、出品目録にあった写真と展示車を見比べると、車体に入ったゼッケン番号以外はまったく同一の車両であった。おそらくは展示車両はこのオークションで落札されたか、落札後にオーナーから購入した上で日本に輸入したのだろう。
ウォン警部のブログ記事「シェルビーコブラ・デイトナクーペCSX9000」です。
この本は、キャロル シェルビーの伝説的なコブラのデイトナ クーペ バージョンの魅力的な歴史を、製造された 6 台の車のうちの 1 台に特に焦点を当てて説明しています。 ルックスとパフォーマンスの両方において野心的な目的を持った素晴らしいデイトナ クーペは、FIA 世界スポーツカー選手権で優勝するために作られ、1965 年に正式に優勝し、フェラーリを大排気量クラスで破りました。 この本で詳しく取り上げた特定の車、CSX2300 は、5 回のチャンピオンシップ ラウンド (1964 年に 1 回、1965 年に 4 回) に参加し、シェルビー アメリカンのユニークなチームの成功に貢献しました。 まさに「偉大な車」の 1 つであるシェルビー コブラ デイトナ クーペは、この絶賛された本シリーズに加える価値のあるものです。
シェルビー デイトナ クーペ SHELBY DAYTONA COUPE
モータージャーナリストの中村孝仁氏が綴る昔話を今に伝える連載。第14回目はトミタオートから購入したシェルビー「デイトナクーペ」を振り返ってもらいました。
ピーターブルック氏のデザインによるシェルビーデイトナは、コブラのシャーシを使いエアロダイナミックなボディにより、
このアイディアは見事に結実し1964年のル・マンでは宿敵フェラーリ250GTOを打ち破り、総合4位、GTクラスのウィナーとなった。そんな貴重なマシンがチャンピオンを取った翌年の1966年に日本へとやって来たのである。第3回日本グランプリに突如として姿を現したデイトナクーペは、酒井 正(敬称略、以下同)のドライブで雨の予選こそ最下位に沈んだものの、スタートでその大排気量のパワーを活かし、ストレートで一気にトップに躍り出た。その後2位を走るもまだまだハイパワーマシンを御しきれなかったのか、レースではエンジンを壊してリタイアしたが、そのスピードの片鱗はたしかに見せつけた。
「デイトナ コブラ」の中古車 | 中古車なら【カーセンサーnet】
当時のレーシングカーは、公道モデルに驚くほど近かった。自走でサーキットへ向かい、そのままレースを戦ったマシンも珍しくなかった。21世紀に再現されたデイトナ・コブラはモダナイズされている。しかし、現代の水準では大きな忍耐が必要だ。
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当時のグランプリの公式プログラムがある。しかしエントリーリストに酒井 正の名も、またデイトナコブラの名もない。レース出場車として紹介されていたのは三保敬太郎のエントリーしたACコブラロードスターの写真が掲載されているが、これは出走していない。酒井はグランプリのエントリー締め切り1カ月前というタイミングで出場を表明したそうで、プログラムの作成には間に合わなかったということであろう。
Octane Japan 編集部 · 著者をフォローする · 記事を保存
本来、シェルビー・デイトナが搭載していたエンジンはのV8だった。だが、筆者が試乗したデイトナ・コブラに載っていたのは、GMのLS3ユニット。エアコンとパワーウインドウも装備されていた。
ShevyCobraDaytonaCoupe/シェビーコブラ デイトナ クーペ
翌1965年はワークスカーとしてガーズマン・ブルーのシェルビーアメリカンカラーに塗られ、2月のデイトナで総合6位入賞。3月のセブリングでも13位完走を果たした。ル・マンは欠席し、1965年はニュルブルクリンクに出場している(この時は12位)。